雑詠Q vol.24

雑詠Q vol.24

【開催期間】
投句の締切:2月03日(土)21時
選句の締切:2月10日(土)21時

  • 総投句数:17
  • 終了日時:2018年02月03日21時00分
  • 選句に参加した投句者には1点が加算されます。
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腹の子が3回蹴って除夜の鐘

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風花や砂場に埋まる紅きザク

北大路京介 さん

紅きザクはシャア専用ザクなのかジョニーライデンのザクなのか。
どちらにせよ、風花、砂場との調和が見事。(2018/02/10)

笛地静恵 さん

ざらりとした茶色い砂。
赤いプラスティックのおもちゃ。
そして、白い雪。
物の質感の対比が、鮮烈な一句。(2018/02/04)

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冷たきを委ねて夫の手の大き

4
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撒く豆よ鳥獣戯画が騒がしく

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3

一月の声が小さいと来た苦情

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3

悴んでフラれたかどうかわからない

蘭子 さん

寒さに悴んでいるのは手足だけではないのですね。心まで悴んで愛の行方が分からない切なさが滲んでいます。中八がやりきれなさを醸し出しています。(2018/02/04)

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冴返るインクの出ないボールペン

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雪の村ひとっこひとりいない村

斎藤秀雄 さん

深読みすればするほど、不思議さが増していって、最後にこれを読んでいる自分までいなくなってしまうのではないかと不安になる句。まず、「ひとっこひとりいない」のであれば、それはすでに「村」と呼べないのではないか、という、日常の自明性にどっぷり浸った俗人としての読みが来る。次いで、どうもこの句を詠んでいる詠者自身さえ、この情景のなかに存在していないのではないか、という少し不穏な予感(フィクションという意味ではなく。フィクションかもしれないが、それはまったく問題ではない)。さらに、ほんとうは詠者も含めた村人たちは、あたかも生者のごとく振る舞い、生者によって観察されているのだが、そのなかに生者=ひとは存在しない、という、読解中に生じる不安の奥底に到来する妄想。こうした不穏な妄想へいざなっているのは、「村」の過剰なリフレイン(たとえば「雪の朝ひとっこひとりいない村」でもよいはずだ)と、〈上五〉=〈中七下五〉という対句表現だと思う。この対句によって、〈雪〉があることはすなわち〈ひとっこひとりいない〉ことである、という妙なロジックが詩的に成立してしまうからではないか(深読み)。(2018/02/03)

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冬ぬくし五百羅漢に妣の笑み

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紙漉女こころの澱をつまみ棄つ

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まだ灯油欠かせぬ午後や春障子

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月冴ゆと思へば欠くる亥の刻よ

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スカイツリーの貫く空にレッドムーン

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寒紅は刺さずキッスは鉄の味

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節分の豆を集めた小宇宙

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紙風船の転がる吾子の逝きし背よ

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見上げればつぼみの枝や西行忌

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