- 総投句数:14
- 終了日時:2018年07月07日21時00分
- 選句に参加した投句者には1点が加算されます。
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八馬星 さん ホの字(死語)が向こうからやってくる…。いまさらどうにもならない儚い思い出が一瞬光る悲しさ。詩的ですなぁ。(2018/07/08) |
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斎藤秀雄 さん
〈参観日〉が、子ども目線なのか、親目線なのか、気になるところ(親でも子でもない目線なのかもしれない)。子ども目線なら、〈輝けぬ蛍〉というものは、もちろん蛍がつねに必ず光るものだとは限らないけれど、どこか期待を裏切るようなところがあって、子どもがみずからを投影しているようにも読める(ただ、こう読むと、いわゆる「つきすぎ」なのかもしれない)。親目線なら、少し複雑で、自分の子を「輝けぬ」と感じている、あるいは子の自己認識が「輝けぬ」というもので、そんな子を心配している、とも読める。あるいは参観日に来る親たちのなかで、自分が親として「輝けぬ」と感じているのかもしれない。子どもの頃、他の子にうちの親を見られたくない、恥ずかしいから、と思ったことのある人は少なくないかもしれず、この親も、子どもの頃そう感じたひとりなのかもしれない。理想の親になれていない自分。それ以外にも、読みが考えられて、〈参観日〉とは蛍のschool(群れ)のことなのかもしれない。「蛍二十日に蝉三日」と言われるように、〈来週〉には〈蛍〉は死んでいるのか。あるいはオスが一箇所に集まってシンクロして光る現象が予定されているのか(しかしこの蛍だけは、その仲間になれない)。いずれの読みでも、〈蛍〉で唐突に切れて、〈来週参観日〉ということばが到来する点が面白い。(2018/07/08)