- 総投句数:17
- 終了日時:2018年08月04日21時00分
- 選句に参加した投句者には1点が加算されます。
1位
6点
|
|
2位
3点
|
|
3位
2点
|
|
3位
2点
|
|
3位
2点
|
|
3位
2点
|
|
3位
2点
|
|
3位
2点
|
|
9位
1点
|
|
9位
1点
|
|
9位
1点
|
|
9位
1点
|
|
9位
1点
|
|
9位
1点
|
|
9位
1点
|
|
16位
0点
|
|
16位
0点
|
斎藤秀雄 さん
ぼくがこの句に惹かれるのは、〈素数蝉〉の不思議な(?)生態と〈忌〉という文字が、魔術的に通底しているように感じたからです。素数蝉(13年周期と17年周期)は、理論上はすべての年に年次集団をつくりうる(13年周期のものは13集団、17年周期のものは17集団、計30集団)のに、じっさいにはその半数の年次集団しか存在せず、つまり素数蝉が〈来ない年〉がある、というところが、生態の不思議な点(おそらく絶滅したことで、「歯抜け」が生じたのだとは思う)。またこの周期の発生が、諸説あるとはいえ、進化論的な適応的意義をもっているという点で一致していて、適応と素数(生物学と数学)という、現実的なものと理念的なものの合理的なマッチングが、非常に興味深い。ではこの句の〈忌〉は、どこにさしむけられた〈忌〉なのか。ぼくが読んだ感触としては、絶滅して歯抜けになった年次集団のことではないか(有史以来わかっている、絶滅した年次集団は17年でひとつ、13年でひとつで、それらの集団への〈忌〉なのかもしれない)。これらの年次集団が絶滅したことは、〈来ない〉ことによって、我々は知ることができる。「同じ」種類の昆虫に所属しているのに、素数個の集団に分裂し、絶滅した集団と今でも存続している集団とがある、という、なんともやりきれない気持ちにさせられる〈素数蝉〉の運命に対して、ぜひとも〈素数蝉の忌〉を季語にして欲しいという欲求がわいてくる。今回の題「忌」は、ぼくが提案させていただいたものですが、「不在であることによって不在のものの痕跡を感じる」という、〈忌〉ということばの核心にせまった句ではないか、と思いました。(2018/08/05)