句会エスプレッソ 33杯目【忌】

句会エスプレッソ 33杯目【忌】

お題:【忌】

【開催期間】
投句の締切:2018/08/04 21:00
選句の締切:2018/08/11 21:00

  • 総投句数:17
  • 終了日時:2018年08月04日21時00分
  • 選句に参加した投句者には1点が加算されます。
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温泉に入らぬ祖母や原爆忌

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うなぎ屋の冷めた接客三回忌

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黙々と土嚢積む人ヒロシマ忌

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早朝に行こうか法隆寺子規忌

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歪顔の川面の我や河童の忌

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素数蝉の忌来ない年季語ならず

斎藤秀雄 さん

ぼくがこの句に惹かれるのは、〈素数蝉〉の不思議な(?)生態と〈忌〉という文字が、魔術的に通底しているように感じたからです。素数蝉(13年周期と17年周期)は、理論上はすべての年に年次集団をつくりうる(13年周期のものは13集団、17年周期のものは17集団、計30集団)のに、じっさいにはその半数の年次集団しか存在せず、つまり素数蝉が〈来ない年〉がある、というところが、生態の不思議な点(おそらく絶滅したことで、「歯抜け」が生じたのだとは思う)。またこの周期の発生が、諸説あるとはいえ、進化論的な適応的意義をもっているという点で一致していて、適応と素数(生物学と数学)という、現実的なものと理念的なものの合理的なマッチングが、非常に興味深い。ではこの句の〈忌〉は、どこにさしむけられた〈忌〉なのか。ぼくが読んだ感触としては、絶滅して歯抜けになった年次集団のことではないか(有史以来わかっている、絶滅した年次集団は17年でひとつ、13年でひとつで、それらの集団への〈忌〉なのかもしれない)。これらの年次集団が絶滅したことは、〈来ない〉ことによって、我々は知ることができる。「同じ」種類の昆虫に所属しているのに、素数個の集団に分裂し、絶滅した集団と今でも存続している集団とがある、という、なんともやりきれない気持ちにさせられる〈素数蝉〉の運命に対して、ぜひとも〈素数蝉の忌〉を季語にして欲しいという欲求がわいてくる。今回の題「忌」は、ぼくが提案させていただいたものですが、「不在であることによって不在のものの痕跡を感じる」という、〈忌〉ということばの核心にせまった句ではないか、と思いました。(2018/08/05)

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朝毎の忌日や烏瓜の花

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広島忌君は写真のみの現世

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「横浜の椎名」「長崎」「忌中」夏

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左手を忌明けの骨へ夏料理

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どぶ川へ石投げ投げて賢治の忌

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ベランダでふかす煙草や河童の忌

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まぐりつと忌桃にぎりたる手のみえぬ

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人の目に忌まわしき炎ゆ車椅子

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原爆忌イエスに与えられし水

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敗戦忌こーゆー国で生きてます

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長崎忌黙して語るマリア像

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