ダイヤモンド☆句会 34カラット【花野】

ダイヤモンド☆句会 34カラット【花野】

お題:【花野】

【開催期間】
投句の締切:2018/09/01 21:00
選句の締切:2018/09/08 21:00

ボツ句祭りを『句会Q 別腹』で開催してます。

http://www.exkukai.shop/index.php

  • 総投句数:16
  • 終了日時:2018年09月01日21時00分
  • 選句に参加した投句者には1点が加算されます。
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病院の跡に屈託なき花野

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白杖で指揮して歩く花野かな

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存分に花野くすぐり雨上がる

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折り紙の折り目を付ける花野原

斎藤秀雄 さん

〈折り紙〉の一語で、〈花野原〉のひろがり、平らな感じ、切れ目のなさ(果てしなさ)が分かる。〈折り紙〉は小さいけれども、にごりなく、どこにも凹凸がなく、本来は広大だった平面の一部を手のひらサイズに切り抜いたものだと感じるからだと思う。折り紙は折るものだから〈折り目〉がつくのは当然なのだけれど、やはり〈折り〉の反復が目を引いて、どういうことだろう、と気になって仕方がない。もちろん単純に、「折り紙を折りましたよ。そこは花野原でしたよ。」というだけのことなのかもしれない。折り紙の〈折り目〉が〈花野原〉に転写されて、まるで一面の花野原に、横断線が引かれたかのように感じる。それは花野原を横切る主体の歩いた痕のことかもしれない。あるいはそもそも〈折り目〉はこの痕の隠喩として書かれているのかもしれない。「折り紙に」でなく〈折り紙の〉としたことで、その線があらかじめそのように引かれることを待っていたかのような錯覚を生じさせる(「折り紙に」だと、まっさらなところに新しい線を引くように感じられる)。俳句で「小さなもの-大きなもの」の対比を使うことはよくある技術ではあるけれど、やはり〈折り紙〉という、よくあるものなのにこの季語に取り合わせた前例はなかったのではないか、と思わせる点で、傑出していると思う。(2018/09/03)

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嗅ぐだけで食べるべからず大花野

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自来也に肩車され花野行く

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  • まどんさんの句
  • [採点済]

死は怖い花野の母は笑うだけ

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縄文時代の借用書が花野

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君の名は彼の花野より出づるかな

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空青し待つ人もなき花野かな

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自転車を停めて花野でかくれんぼ

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廃園を野良犬吠ゆる花野の香

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行きどころなくなんとなく夕花野

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どこまでも花野広がり茜さす

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花野行くベビーカー短艇のごとし

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水切りの石の薄さよ花野かな

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